【なぜ、どうして 1】「あける」と「しめる」
※たぶん、シリーズ化する予定、です。(笑)
ちなみに、私は旅行歴は浅い方なので、 経験が偏った話になりやすいことを付け加えておきます。 むしろ、大先輩がた、こんなところもあるよ〜とか、 そういうのばかりではないよ〜という意見も歓迎なのです。
アイルランドでエレベーターに乗った時のこと。 ふだんあるはずの、「あける」「しめる」のボタン。 そこには、しめるのボタンがありませんでした。 どうやって閉めるのか?と不安になり、私は無意識のうちに、 一つしかない「あける」のボタンであろうボタン(何も書いていない)を 必死に連打していました。
あまりに閉まらないので、正直、壊れたのかとも思いました。そんなまさか。 もうどうにでもなれと、押すのを止めた3秒後、扉が閉まったのです。
そのとき、変なことが、自分の中でおきました。 「はて、ではなんで閉めるボタンが必要だったのだろう。 ・・閉まるまでの時間さえも惜しいと感じてるのだろうか?」
頭の中の思考がこうも付け加えた。 「だって、早く閉めないといけないじゃない。 みんなのためにも。はやく。」
・・・・みんなのために?はやく?
だれのことだろう? 私? それともエレベーターに一緒に乗っている人たちのこと? なんとも言えない感覚が私を襲った。
そんなことがあったのにもかかわらず、 ヨーロッパでのった各地の電車のドアには別の仕掛けがあった。 内側と外側、両方に「あける」ボタンがあった。 日本でも一部の地域で見られるけれど、 電車の外側にある「あける」ボタンは正直、見たことがなかった。 一度ドアが閉まっても、発車する直前でも、 ボタンを押すことができれば、乗車、下車することができる。
こうしてドアのボタンのつき具合一つをとっても、 何を大事にしているのかが、全く違って見えた。
しめるボタンがあることによって、 私たちの時間は実際に増えているのだろうか。 なにに急かされているのだろうか・・。
その時、ふと疑問に感じたのです。
雫